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「査問」川上徹著(ちくま文庫)、「ヒトラーの側近たち」大澤武男(ちくま新書)

「査問」は1970年代前半、日本共産党とその下部組織、日本民主青年同盟(民青)を舞台にして起きた事件を題材にしている。学生を中心にして、若者がまだ社会に積極的に異議を申し立てていた時代の話だ。著者の川上氏は民青系の全学連委員長を務めたことがあり、「事件」当時は民青本部組織の役員だった。

ある日、川上氏は突然、組織上層部から呼び出しを受ける。「査問」の始まりである。君は組織の指令に背き勝手な行動をしたのではないか。組織を破壊しようとしたのではないか。破壊分子であり、分派活動のリーダーではないのか。川上氏には身に覚えがない。しかし、本部の中で完全な監視下に置かれ、捜査機関顔負けの「取り調べ」が続く。「自分は間違っていない」。それを証明しようとして具体的なことを語れば語るほど、他の仲間も次々と同様の嫌疑をかけられ、査問されていく。

筆者の思いは別にしても、この書物は「組織と個人」のありようを真正面から問うたものだと感じた。路線論争が活発で、それが活力でもあった1960年代末までの共産党と違い、1970年代以降はどんどん党の官僚化が進む。その様子を「査問」事件を通して、組織内部から活写している。

「査問」の嵐が終わった後、次第に誰もが査問のことを口にしなくなっていく。だれがどんな分派活動をしたのかを具体的に真摯に問うこと泣く、「組織は危機に直面している」といった“恐怖”が喧伝され、その中で組織は自由度を失い、ますます官僚化していく。「事件」からしばらくの年数が過ぎた後、川上氏はこう思った。「あれだけの事件があっても党内から公然と意見を言ったり質問をしたりする者はいなかった」「学者は理論問題にはかかわっても具体的な問題にはかかわらなかった」。そして、氏はこうも書いている。

「真に驚くべきことは、共産党という巨大なシステムは、権力発動の動機となったリアリティを完全に喪失した状況の下でも、その権力の機能は全く衰えることがない、という事実である。そして、喪失したリアリティの代わりに、システムの存続それ自体がその組織体にとってのもっともありうべきリアリティーとして登場する。また、喪失したリアリティーと組織存亡のリアリティーの比重の対比が後者にかかればかかるほど、構成員たちの凝縮したエネルギーは倍加し、戦闘性(残酷さや冷酷さやおよそ非人間的なるものも含めて)さえもが飛躍的に増大するのである」

民生本部が攻撃されるかしれないというときの本部内の熱狂、そして「査問」のときの内に向かう冷酷さ。川上氏はそうした自らの体験を通して、「組織」を問うた。上記引用の「共産党という巨大なシステムは」の「共産党」は。もちろん、様々な言葉に置換が可能だ。それは多言を要すまい。

「ヒトラーの側近たち」においても、この組織の病は繰り返し登場する。なぜ、人ら^がヒトラーたりえたのか。組織内での地位保全や栄達の可能性が見えれば、実に多くの人がそれに従い、猛進し、献身し、ヒトラーを頂点とする組織をさらに強固にしていく。

高校生の頃だったか、社会科の先生に「ナチスがユダヤ人の虐殺ができたのは、ユダヤ人の中に協力者がいたからだ。それなしに、ナチスの支配は成り立たなかっただろう」と言われたことがある。

組織とは何か。何のために存在しているのか。その組織の中で自分は何をどうしようとしているのか。そういった、絶えることなき問いを忘れた途端、組織は暴走をはじめる。その先にあるのは、ナチス・ドイツもそうだったように、たぶん、「破滅」である。



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「朽ちていった命 被曝治療83日間の記録」 NHK東海村臨界事故取材班(新潮文庫)

東日本大震災と福島原発事故のあと、実にたくさんの関連書籍が出版された。復刻本も数多い。それらの出版物の相当数を読んだと思う。それぞれに読むべきところはあるが、「1冊だけ、絶対に読むべしという本を教えてほしい」と言われたら、私は迷わずに「朽ちていった命」を推す。

茨城県東海村の株式会社JOC(住友金属鉱山の子会社)の原子力施設で、日本初の臨海事故が起きたのは1999年である。もう10年以上がすぎ、事故を知らない人も増えた。事故では作業員2人が大量の放射線を浴び、大内さん、篠原さんの2人が亡くなった。この本は事故から83日後に亡くなった大内さんの治療記録である。

読み進めることがつらい、という本は(宣伝文句は別にして)、そう滅多にあるものではない。「朽ちていった命」はページをめくるのが辛かった。「辛い」というより「怖い」と感じた箇所がある。大量の放射線を浴びた人は、いったい、どのようになってしまうのか。眼や口などの顔、手足、内蔵。それらはそれぞれに、どのように変化していくのか。被曝から何週間も過ぎた後に、皮膚が焼けただれ、毎日大量の体液がしみ出して行く。当初、意識がはっきりしていた大内さんの無惨で、無念な姿は、まさに日本の全員が心に刻み付けて良い。

筆者は最後のほうで「放射線の恐ろしさは人知を超えていた」と書く。実にたんたんとした、それでいてこれ異常はない迫力を持って訴えかけてくる角行の中で、この一文こそが結論なのだろうと思った。もちろん、本書には大内さんを見守る家族、医師や看護師たちの、愛情溢れる思いも綴られている。だからこそ、よけいに、ページをめくって、日々の大内さんの経過を知るのが怖くなる。

いまも原発推進に懸命な人々、すなわち電力会社、原子炉メーカー、経済産業省、学者、知事、周辺自治体の利害関係者など、そういった人たちにこそ、まずは読んでもらいたいと思う。福島原発は放射能の漏出が止まったわけではない。いまも事態は進行中である。自分の体をぼろぼろにして、60兆個の細胞をぐちゃぐちゃにしてまで、放射能被曝の恐ろしさを身をもって訴えた大内さんが、いまのこの日本を知れば、いったい何と言うだろうか。

「3・11後」は、今から始まるのである。


「認知症と長寿社会 笑顔のままで」 信濃毎日新聞取材班(講談社現代新書)

 「更埴市」は長野県北部にあった市の名前である。近隣自治体と合併し、今は「千曲市」という。遠い遠い、30年ほど前の学生時代のことだが、このあたりを訪ねたことがある。ゼミ合宿だったか、サークルの合宿だったか。典型的な日本の田舎、地方都市だったような、おぼろげな記憶がある。

 姨捨山(正式名・冠着山)は、その千曲市にある。知っての通り、姨捨山には「姨捨伝説」が残る。

 年老いた母を捨てに山を登る息子。自分の息子が帰り道に道に迷わぬよう、背負われた母は登りの道すがら、手を伸ばして木の枝を順順に折っていく。それを見て、息子は母を棄てられなくなった--。そんな伝説だ。

 本書は、その姨捨山近くに住む老夫婦の話から始まる。夫86歳、妻79歳。「老老」世帯の暮らしは、ただでさえ、しんどい。そこに「介護」が加わったら、いったい、どうなるか。しかも妻は認知症である。意味不明なことを話し、徘徊もする。夫が誰なのか、時にはそれも分からない。それどころか、自分がだれなのかも分かっていないかもしれない--。

 私が小学校6年生の時、一緒に暮らし板ていた祖母が死んだ。その祖母も認知症だった。第二次大戦で死んだ息子の名前を呼んでは「さっきまで清茂がここにおった」などと言い、清茂の分の夕食を用意してないと言っては、私の母を責めていた。そんな記憶がある。そして、あれだけ苦労して祖母の面倒を見て、毎日ため息をついていた母が、その祖母の死後、しばらくたって、辛かったはずの介護が実はどれだけ自分を支えていたかを語ったことがある。

 当時はその意味が分からなかった。小さい子供であったから、分かるはずもないのだが、本書を読み終えた今は、母の言った意味が分かるような気もする。

 本書は、新聞協会賞などジャーナリズム関係の賞を多数手にした、信濃毎日新聞の連載をまとめた1冊である。だれもが避けられぬ長寿社会。そして、かつては長い間、タブー視されていた認知症。この重い課題に真正面から取り組んだ。連載時から大評判だったので、ときどき、記事のコピーを読んではいた。しかし、こうして1冊にまとまると、また違った迫力がある。

 読み始めたのは、通勤の電車の中だった。途中で落涙し、読み進めなくなる箇所もあった。各ページに事実が詰まっている。1行1行が重い。つくりが丁寧で、時間と労力を存分に費やしたことが良く分かる。

 新聞はダメだ、既存メディアはダメだ、最近はそんな単純な批判が多い。しかし、本書のような良質のルポルタージュを読むと、そういった「新聞批判」を逆に空しく感じるだろう。「新聞だから悪い」とか、そんな単純な話ではないのである。何をテーマに、どう取材するか、どう伝えるか。報道においては、それが全てであり、本書はその見事な回答でもある。

 写真もすばらしい。とりわけ、237ページと257ページ。この2枚の写真は、すべてを物語っている。この写真を見ると、郷里に暮らす、自分の年老いた父と母のことを思い出し、また落涙しそうになる。

「ジャーナリズムの原則」 ビル・コヴァッチほか著 (日本経済評論社)

 「調査報道」が重要だと言われて久しい。しかし、「調査報道」とは何か。経験を積んだ記者であっても、その答えは千差万別である。

 昨年の今頃は、民主党の小沢一郎氏の政治資金をめぐる報道が、列島を席巻していた。その急先鋒の一つだった全国紙の担当デスクは、小沢疑惑報道を「調査報道の成果だ」として誇っていたが、しかし、検察捜査の終焉とともに報道は沙汰やみになった。確かに、検察捜査とは別の観点からの報道もあったのかもしれないが、検察の捜査の盛り上がりに寄り添うようにした報道は、少なくとも私には大きな違和感があった。なぜ、その大手紙の「小沢氏に対する調査報道」は終わったのか? 結局、虎の威を借る狐のような風情である。

 私は全く与しないが、「あす逮捕へ」という捜査情報を他社より先に書くことを調査報道だという人もいる。捜査員に取材して、独自ネタとして書くのだからそれは調査報道だ、という理屈である。日本では長年、起訴前の捜査段階における途中経過情報を他社に先駆けて報じることが重要だとされてきた(=組織内で高く評価されてきた)。

 こうしたことは、事件報道に限らない。「当局の行うことを、当局の許す範囲で、当局の発表前に書く」という取材のありようは、ある意味、従軍記者の発想に極めて近い。

 では、調査報道とは、いったい何か。この問いに対する回答を、過去の知の集積である書物から得ようとした場合、大きな困惑を感じるだろう。ないのである。ない。日本には「調査報道」を真正面から論じた、ちゃんとした書物がない。朝日新聞のリクルート事件報道を仕切った山本博氏の著作「追及 体験的調査報道」などはある。昨年は、菅生事件を扱った「消えた警官」も出た。しかし、これらは、調査報道に携わった記者たちの体験談であり(もちろん貴重なことにかとに変わりはない)、調査報道総体をきちんと分析し、体系立て、その問題点や実践の諸条件を論じたものではない。

 「ジャーナリズムの原則」の第6章は、そんな不完全燃焼の気持ちを和らげてくれるはずだ。本書は、記者の仕事に携わる人なら、だれもが読むべき1冊である。米国のジャーナリズム関係の団体が徹底した討論を重ね、その成果として出版された。残念ながら絶版ではあるが(新版は翻訳されていない)、私は手元に2冊置いてきた。1冊は線引きや書き込みでぼろぼろだ(もう1冊は保存用である)。

 第6章は「権力の監視と声なき市民の代弁」は、調査報道に関する記述である。「ジャーナリストは権力にたいする独立した監視役という役割を果たさなければならない」というこの根本原則について、本書はこう記している。

 「この原則はしばしば、ジャーナリストのあいだでさえも、『満ち足りた者を責める』という意味に誤解されている。さらに監視の原則は、現代のジャーナリズムにおいて乱用され、公共奉仕よりも読者に迎合することをい目的とした見せかけの監視役気取りによって脅かされている。おそらくもっと深刻なのは、この監視の役割が新しい種類の企業統合によって脅かされていることである。それによってメディアが監視役の責任を果たす上で求められている独立性が損なわれるかもしれない」

 また第6章では、調査報道を3つに分類している。そのひとつが「調査に関する報道」である。これは捜査当局などが調査・捜査する内容を、それらを情報源として報じる形態を指す。日本の現状の事件報道に近い。しかし、本書はそうした人々(=当局側)は、往々にして、予算欲しさや世論形成等々を目的として、記者に対して積極的に協力するのだと明言する。そして、捜査員らによって利用される可能性が高く、報道機関は権力の監視役ではなく道具になり下がる危険が高い、と。

 翻訳特有の、もって回ったような表現は多いが、私はこの一節だけでも相当な歯ごたえを感じる。多角的な取材と議論の材料になる。思索と刺激をもたらしてくれる。もちろん、第6章だけでなく、全編について、である。

  

A3(エー・スリー) 森達也著 (集英社インターナショナル)

釈迦に説法ではあるが、事実とは一つではない。物事を認識する主体が人間である以上、「認識」には必ず主観が入り込む。「純粋な客観」などあろうはずがない。森達也氏のいくつかの著作を読むと、常識を常識たらしめているもの、或いは、ある出来事を事実して受け容れている我々人間のあやうさ等々に、しばし気付かされる。

「オウム真理教事件」から、もう10数年になる。あの地下鉄サリン事件の日、私はちょうど旅行中だった。明確な記憶は薄れたが、空港のロビーでテレビに見入っていたことは覚えている。確か、福岡空港だった。その後、日本を覆い尽くした風潮については、ここで私が書くまでもない。

本書「A3」は、「A」「A2」に続いてオウム真理教を扱っている。前2作と同様、オウム真理教や麻原彰晃(本名・松本智津夫)にできうる限り接近し、本書は出来上がっている。だからといって、(当たり前のことだが)、森氏はオウム真理教やその事件を擁護しているわけではない。オウムに限らず、異質なものを排除しようとし、その理屈付けを「常識」へと昇華させていく、その社会のおかしさを突いているのである。

「A3」を読むと、メディアが伝えるのは、「社会全体がすでに合意していること」だと分かる。それが言い過ぎであれば、「まだ合意には至っていないが、納得したい内容」と言い換えてもいい。分かっていることを伝える・拡大する、体勢が納得したい理由付けを伝える・拡大する。それがメディアの本質であると、森氏は言っている。

そういった、奔流のような社会の趨勢に抗うものが必要であり、かつ、それが仮に可能だとすれば、その手立ては「愚直な質問の積み重ね」しかない、と思う。分かったふりをしない。分かったつもりにならない。常套句を用いて世事を理解したつもりにならない。そういった愚直さである。それは何も、取材・報道の現場に限った話ではない。

熊本日日新聞による「オウム真理教とムラの論理」(朝日文庫)も、愚直さを感じる良書である。

 

「最後」の新聞  サッカー専門紙「エル・ゴラッソ」の成功  著:山田泰(ワニブックスPLUS新書)

「起業」が当たり前で、もてはやされる時代にありながら、「新聞」の起業や創業に関するリポートは稀である。実際に新規参入がないのだから、当たり前の話ではあるが。日本では、紙の新聞の新規参入は(地域のフリーペーパーなどを除き)、ここ四半世紀、ほとんど例がない。県紙レベルでは、「みんなの滋賀新聞」が本格参入を試みたことがあったが、通信社が記事を配信しないなどの事態が続き、創刊から1年足らずで姿を消した。

政治や社会、経済などのニュースを扱う新聞ではないが、本書は日本での数少ない「新聞創業」の物語である。サッカー専門の「エル・ゴラッソ」紙の創業者が、「なぜ紙の新聞だったか」を語っている。週3日発行のサッカー専門紙であり、日刊ンの一般紙とは事情が違う。だから、「凋落業界の再生の処方箋が書いてあるのか?」と期待すると、少々肩透かしを食らう。文章も薄味で、濃厚な読後感はない。

それでも、メディアの将来に関心を持つ人は読んだ方がいいと思う。最近は「アメリカでの新聞没落=日本でも数年後に没落}「ネットが発達=新聞は没落」という、単純で乱暴な新聞没落論が多く、この種の書籍には食傷気味だったが、「どんな情報を、だれに、どうやって売るか」というエル・ゴラッソ紙創業者の話は、参考になる部分も多い。とくに紙面デザインや情報の付加価値へのこだわり、発想は傾聴に値する。

新聞創業について書かれた日本語の本は、ほかに「創刊 インディペンデント紙の挑戦」があるくらいである。「創刊」は(私の大好きな)英・インディペンデント紙をつくった男たちの話だ。インディペンデントが創刊されたのは、1986年10月のことだ。万事に保守的な英国においては、新聞界も例外ではなく、新しい高級紙が英国に登場したのは131年ぶりだったという。 →「創刊と革命と激動と」

このネット時代において、ネットがますます興隆しようという現代において、新聞「紙」の創業の話を読むのは、時代おくれも甚だしい、と思うかもしれない。実際、そうかもしれない。でも無駄ではない。



「虫に書く」  大森実  (潮出版社)

ベトナム戦争の姿を早くに伝えたとして評価されている、毎日新聞の連載「泥と炎のインドシナ」を仕切ったのは、当時の外信部長・大森実氏である。「当時」といっても、若い人はピンとこないかもしれない。1960年代後半の話だ。無理はない。

その大森さんが今年亡くなられた。大森さんと言えば、「国際ジャーナリスト」の肩書で通っているが、ベトナム戦争報道をめぐって毎日新聞を退社に追い込まれた後、一時期、東京で「東京オブザーバー」という新聞を発刊していたことは、ほとんど忘れ去られている。

読売や朝日などの全国紙は、スポーツも社会も政治も経済も何でもありの、まあいわば、大衆紙である。少なくとも、大森さんによると、欧米基準ではそう分類されるらしい。「東京オブザーバー」は日本初のクォリティペーパー、いわば「高級紙」を目指した。記者を何人も雇い、東京・上野に拠点を構え、最盛期は15万部もの部数があったという。宅配も駅売りもあった。新進の新聞社だったにもかかわらず、記者は国会や各省庁にも、どんどん取材に出向き、それこそ記者会見などんも普通に出ていたようだ。東京オブザーバーの記者が国会の廊下で取材している様子を写した写真を見たことがある。

ここで取り上げた「虫に書く」はずいぶん古い本だ。もちろん絶版である。本書は東京オブザーバーで働いていた、当時20代の若い記者・中島照男の物語だ。大学を卒業したばかりの中島は大森から「事実をえぐりだせ」と叱咤され続け、急速に記者として成長していく。そして30歳を迎える前に、カンボジア戦線で死亡する。

「虫で書く」は、地べたに這いつくばり、虫の目線になって、下からものを見て、そこから真実を照射する、という意味が込められている。中島ばかりではなく、当時の東京オブザーバーの若い記者たちは、実に真剣である。本書にはところどころ、全国紙批判も登場する。「米国や日本政府の言いなりで真実を書いていない」という理屈だ。私にすれば、当時の全国紙は相当に頑張っていたように映るが、大森や中島たちには、その軟弱さ、お上品さが我慢ならなかったらしい。

全編、とにかく熱い。時代と斬り結ぼうという、真剣さが、実に熱い。1972年刊行だから、すでに40年近く。しかし、「ジャーナリズムとは何か」を考える上で、本書の内容は少しも古びていない。読んでいると、己の甘っちょろさが身にしみてくる。でも、ほんと、熱いぞ。


 虫に書く

「NHK 鉄の沈黙は誰のために」 永田浩三  (柏書房)

ジャーナリズムの世界を内側から描いた作品は数多ある。その中にあって、本書は類い希な良書だと思う。筆者の誠実で、理性的で、しかしどこか卑弱な性格も隠すことなく描かれている。大所高所からの、よくあるメディア批判ではなく、細かな日常的な出来事を積み重ねて描いているところが、また心に染みる。この本が出た直後、永田氏と酒席であれこれ話したが、その人柄が全ページに溢れている。そんな一冊である。

数年前、ETV特集「問われる戦時性暴力」の番組改編が大問題になったことを覚えているだろうか。番組の内容に自民党の政治家が介入し、NHK側がそれを受け容れて番組内容を変えたとして、当時大問題になった。著者の永田浩三さんはNHKの元プロデューサーで、当該番組も担当していた。

番組改編の指示、それ以降の実際の改変現場。それがどのような状態で行われたかが、本書には良く描かれている。永田氏をはじめ、多くのNHK職員は疑問を持ちながらも、改変指示に従い、「作業」は実にたんたんと進むのである。静かに、ルーティーンの仕事として。テレビの職業人だけあって、本書の記述全体は、良質の映像番組を見ているようだ。読みながら、頭の中に次々とその場面が映像として浮かんでくる。改編「作業」の場面はだからこそ、リアリティに溢れている。

この番組改編問題は、朝日新聞が報道し、その後、NHKと朝日新聞のバトルに発展した。もっとも番組改編に抗議して実名で記者会見したNHKデスクと違い、永田氏はそのころ、対外的には沈黙を守っていた。裁判で事実を語り、左遷され、早期退職するは、ずっと後のことである。

本書で最も印象に残ったのは、この問題の数年後、元放送局長・松尾氏の自宅を永田氏が訪ねる場面だ。番組への政治家の介入は本当のところどうだったのか、NHK上層部はそれにどう対応したのか。そういった事実をただすために、である。NHKすでに退職していた松尾氏の自宅へ趣く道すがら、永田氏は、会えなかったら自宅前で居座ろう、とまで思い詰めていた。だが、松尾氏には会えない。結局、自宅前に居座ることもできなかった。とぼとぼと帰途に着き、駅へ向かう。その、とぼとぼと歩く姿こそが、組織と個人の問題を照射しているように思えた。

この本は、ジャーナリズムというよりも、「組織と個人」の問題が主題だと感じた。最近は既存メディアに対する批判がすさまじいが、実は、この組織と個人の問題こそが、メディア問題の核心だと、私は感じている。みんな勤め人なのだ。スーパーマンではないし、スーパーマンはいない。




「冬の喝采」  黒木亮 (講談社)

今年も残すところ、あとわずか。あっという間に師走は終わり、2011年を迎える。正月と言えば、「箱根駅伝」である。

ロンドン在住の作家・黒木亮さん(51)は、大手邦銀をはじめ総合商社や証券会社などで国際プロジェクト金融を手掛け、アフリカから中東、アジアなどを縦横に駆け巡った経験を持つ。それに裏打ちされた「巨大投資銀行」「エネルギー」といった作品は、多くの読者を魅了してきた。黒木さんの仕事場は、ロンドン北部にある。作家らしく部屋は資料や本であふれ、訪れた人は、どこに腰を下ろそうかと迷うに違いない。

私と同世代の方は、マラソンの瀬古利彦選手を覚えていると思う。早稲田大学在学中に華々しくデビューし、五輪にも2度出場した。その瀬古選手と同じ時期に、早大競走部に在籍したのが、金山雅之選手(黒木さんの本名)である。

金山選手は箱根駅伝も走った。「花の2区」を走った瀬古選手からタスキを受け取って3区を走り、4区へタスキを引き継ぐ。翌年は8区を走った。エンジ色のランニング・シャツに、白字で大きな「W」。それが、若き日の黒木さんだった。

最新刊の自伝小説「冬の喝采」は、そんなランナー・金山の物語だ。北海道の田舎町で本格的に走り始めた高校時代から早大時代まで、金山選手は来る日も来る日も走る。ケガで走れなくても、頭の中にあるのは、走ることだけである。単調でもあるけれど、その凡庸たる日々を積み重ねた者だけが非凡さを獲得し、道を切り開くのだ、と痛感する。

金山選手が実の両親と信じて疑わなかった父母は、実は養父母だった。彼はそれを、早大入学時に知る。生後7カ月のとき、養子に出されたのだという。

北海道から上京してきた養父に真実を聞かされた金山選手は、少し外出し、気分を鎮めてアパートに戻った。すると、養父はシュークリームの箱を差し出す。それを見た金山選手は箱を部屋の隅に叩きつけた。自分はこれからも何も変わらないと思っているのに、父が媚びようとする。それに腹が立った。自分が前向きになっているのに、父さん、あなたが変わってどうするのだ?

やがて、金山選手は48歳の父に向かって言った。

「これからも僕の親は、父さんと母さんだけだから……よろしくお願いします」

大学卒業後、大手邦銀に入った金山さんは1988年、ロンドン支店に赴任した。そして戸籍を手掛かりに、北海道岩見沢市に住んでいた実の両親に、初めて手紙を書く。すると、すぐに母から返事が届いた。封を開けると、何枚もの写真が入っている。一番大きな写真は、昭和20年代の箱根駅伝の写真だった。「M」の文字の入ったランニング・シャツを着た若者が、懸命に走っている。

それこそが、金山選手の父の、若き日の姿だった。金山選手の父も、箱根駅伝の選手だったのである。

明治大学の選手として、父は4年間に4度出場した。金山選手が走った3区と8区は、父も走っている。しかも大学4年のときは、2人とも8区を走り、ともに区間6位・チーム3位だったというのだ。そこを読んだ瞬間、私は震えた。

それからしばらく過ぎた1996年。英国の永住権を取った金山さんは久々に郷里、北海道を訪れた。そして、初めて両親に会いに行く。迷った末、駅から電話。やがて、69歳になっていた実父が車で迎えに来た。母はちょうど外出しているという。

自宅に着いた2人は、あぐらをかいて向かい合った。互いに話題を探しながら、たんたんと話を繋ぐ。生後7カ月で別れた父子に親子の歴史はなく、陸上競技だけが共通の話題だった。そこへ電話が鳴る。立ち上がった実父は、急に大声になり、電話の向こうの母に言った。

「今、雅之がきてるんだわ!早くタクシーに乗って帰って来い!」

「冬の喝采」は、その場面で終わる。息子を手放すとき、布団をかぶり、声を押し殺して泣き続けたという母とは、その後、どんな話をしたのだろう。

「運命が引き起こす奇跡と、努力は無限の力を生み出すこと。その2つを書きたかった」と言う黒木さんは、母とのその後を尋ねる私のメールに、丁寧な返事をくれた。小説には出てこない、その場面を読みながら、不覚にも私は再び泣いた。
(初出「英国ニュースダイジェスト」2008年11月

 

冤罪足利事件―「らせんの真実」を追った400日  下野新聞編集局 (下野新聞社)

日本の刑事司法のおかしさを長年問題視している指宿信・成城大学教授から、「人質司法」の問題点をじっくり教えられたのは、もう15年以上も前のことである。当時、指宿さんは、鹿児島大学の教員だった。何かの折りに札幌を訪問され、司法担当記者だった私や、その他の何人かとススキノで小宴を持った。

「足利事件」に関する本書には、その指宿さんも登場するのだが、この本にひときわ注目したのは、そんな個人的な体験があるからではない。まったく事件と無関係だった幼稚園バスの運転手さんが、なぜ有罪とされ、なぜ17年半も拘束される事態になったのか。だれがどこで、何をどう間違ったのか。無実の罪に陥っていく男性を、どこかで救うことはできなかったのか。

本書は、この「なぜ」「なぜ」「なぜ」の集積である。一審の弁護士、二審の弁護士、判事、検事、捜査に関わった栃木県警捜査員、DNA鑑定の関係者…。おそらく、事件にかかわりのあった人物に対し、地元紙の記者が次々とこの「なぜ」を発していく。

もちろん、「報道」も例外ではない。どうして、地元紙の下野新聞は、男性が逮捕された当時、あんな大々的な報道を続けてしまったのか。「なぜ」の質問は、当時取材に関わった身内の記者にも向けられている。そして、当局寄りになってしまった取材の反省が、率直に語られていく。メディアの反省など、「サルの反省」みたいなものだと思う読者も多いだろうが、下野新聞社の姿勢は、その壁を突き破ろうとしていると思えた。

全体的に見れば、日本の事件報道は多角的な視野を失い、「事件報道」ではなく、捜査の途中経過情報をめぐって競争を繰り広げる「警察報道」「検察報道」になってしまっている。いわば、究極の「当局依存報道」である。しかし、地道に事実を積み重ね、「なぜ」を問い続けようとする姿勢が、完全に姿を消したわけではない。この下野新聞が好例である、実際、下野新聞は2004年にも「宇都宮誤認逮捕・誤認起訴事件」を徹底追及し、捜査当局と鋭く切り結んだ経験がある。

鹿児島・志布志事件、大阪地検のFD改竄事件など、最近は冤罪事件が相次ぐ。捜査段階での「調書偏重」「人質司法」、検察と裁判所の過度(と思える)「判検交流」など、もう何十年も前から問題視されてきた事件捜査・刑事司法の矛盾が一気に噴出している感じである。起訴後の有罪率99%などという数字そのものが、ある意味、異常である。しかし、どんな問題でもそうだが具体的な失敗が表面化し、その検証作業が行われない限り、問題点は改善されない。そこにはまだまだ、報道の取り組むべき役割が大きく横たわっている。

足利事件について書かれた書物は多いが、本書はその中でも秀逸だ。とくに、警察や検察を担当している全国の若い記者は、ぜひ手にとって熟読してもらいたいと思う。


プロフィール

Author:高田昌幸
札幌在住。本家ブログは「ニュースの現場で考えること」。報道の現場で日々感じたことなどを北海道新聞記者時代の2003年から実名で綴っています。なお北海道新聞社は2011年6月に退社しました。
本家ブログアドレスはこちら。 http://newsnews.exblog.jp/

連絡はメールでどうぞ。アドレスは以下の通りです(★をアットマークに変更して下さい)

masayuki_100★hotmail.com

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